劇場で鑑賞した作品『コード・ブルー』、『オーシャンズ8』
今月、劇場で観た作品はこの二本です!
『コード・ブルー -劇場版-』
『オーシャンズ8』
コード・ブルー
私はドラマのシーズン1からずっと視聴している、コード・ブルーファンです。
キャスティングが好みなのが見始めたきっかけでしたが、彼らの成長ぶりを普通に楽しめるドラマとしても大好きです。
シーズン1
湘北救命救急センターでフライトドクターを目指す、四人のフェローたち。
協調性がなく、フェローたちとのなれ合いを嫌う一匹狼のような藍沢先生(山下智久)
消極的な性格だが、優等生で医療知識では誰にも負けない、白石先生(新垣結衣)
生意気でフェローたちを仲間というよりライバル視している緋山先生(戸田恵梨香)
知識も技術もまだまだ勉強が必要だが、心の優しいムードメーカー、藤川先生(浅利陽介)。
この四人のフェローたちが、現場で、患者との関わりで、色んなことを学んで成長していく。
シーズン2
いよいよフライトドクターの試験。それぞれに抱える問題や不安、迷いを描きながらも、前へ進んでいくフェローたち。そして、緋山先生を残してフライトドクターとして巣立っていく。
シーズン3
出遅れた緋山先生も無事、フライトドクターデビューを経て、産婦人科を専門に働いていたが、恩師の頼みを受けて、白石先生と藤川先生のいる、救命に戻ってくる。
脳外で経験を積んでいた藍沢先生も、脳外専門の医師として現場にやってくる。
四人はそこで、新しいフェロー三人の育生を任されていく。
これまでのドラマでは大まかにこのように成長してきた四人。
今回鑑賞した劇場版では、この新しいフェローたちを育てながら、それぞれの道を進んで行く姿が描かれている。
フロントへ行った藍沢先生が一時帰国するのを待つ間、空港からドクターヘリ要請が入る。
白石先生とフェローの灰谷先生が現場へ向かうと、その飛行機に乗り合わせていた藍沢先生と再会する。
藍沢先生を迎え、海ほたるで起きた海難事故に駆けつける。
これまでのコード・ブルーらしさはそのままに、劇場版にて幕引きとなった感じを受けました。
正直、スペシャルドラマでもよかった気はしますが、ラストエピソードを映画化にしたのなら、とてもいい締め括りだと思いました。
オーシャンズ8
これまでのオーシャンズシリーズでリーダーを務めてきたダニー・オーシャンの妹という設定のデビー・オーシャン(サンドラ・ブロック)が釈放後にカルティエのダイヤを狙うというストーリー。
保釈前の面談では「二度と盗みはしない。出所後は地味な暮らしをしたい」と涙ながらに語るも、釈放された足で服飾品を次々に盗み、ホテルまで入手する豪快っぷり。
そして、メットガラのイベントでカルティエのダイヤを盗む作戦のために、仲間を集め始める。
本作は『オーシャンズ11』のリムーブ作品として制作されましたが、時系列は『オーシャンズ13』の後、ダニーが亡くなったとされています。
リムーブ作品ということもあって、『オーシャンズ11』をそのままレディースバージョンで描いた内容になっていました。
ジョージ・クルーニー演じるダニーと、ブラッド・ピットのラスティの関係を本作では、デビー(サンドラ・ブロック)とルー(ケイト・ブランシェット)が完璧に再現していました。
特にルーを演じたケイト・ブランシェットのキャラクターがネット上でも大好評。
(もちろん、私もその一人です)
かつておすぎさんが、ケイト・ブランシェットが『エリザベス』を演じた際に「彼女は生まれてくる時代を間違えたのよ」と絶賛していましたが、その迫力と現実離れした美しさは異常でした。
あの低い声で、デビーのサポートをするルーの役どころと、そのビジュアルだけでも鑑賞の価値ありです。
そして同じくらい存在感が光っていたのは、アン・ハサウェイ演じる、ダフネ・クルーガー。
高飛車な女優という役を見事に演じきっています。
アン・ハサウェイだけでなく、ハリウッド女優に持たれがちな“ザ・女優”といったイメージをこなすにはハマり役と言えそうです。
その美貌を余すところなく、アン・ハサウェイの魅力をフルスロットルで表現しています。
主演を務めたデビー役のサンドラ・ブロックは、ジョージ・クルーニーのダニーの時のように、脇役が際立つように自身は目立ちすぎず、でもリーダーとしての手腕を発揮する絶妙なキャスティングだと思いました。
是非、彼女たちの美貌を堪能してみてください。
日曜プライムで放送『君の膵臓を食べたい』鑑賞!
公開された当時から、このタイトルのインパクトには興味を惹かれていました。
けれど、鑑賞には至らず。。
それが先日、地上波で初放送されたのを機に、やっと鑑賞しました。
私は原作も読んでいないので、何の情報もなく観ることができました。
なので、ごくごく単純に、「『君の膵臓を食べたい』!?!?」という疑問を抱えて挑みました。
そして放送日。
録画予約をしていましたが、冒頭はリアルタイムで観ていました。
そして映画が始まって間もなく、
「君の膵臓を食べたい」
「え?」
「昔の人は病気になると、動物のその臓器を食べると治るって信じてたんだって」
「だから僕の膵臓を食べようって?」
という会話が飛び出します。
私は内心、「これがタイトルの理由か…」と思ってしまいましたが、『ラスト、きっとこのタイトルに涙する』というキャッチコピーになるほど、タイトルには深い意味があるのだと信じて、鑑賞を続けました。
(結果は、「ん?つまり最初に言ってたことでは?」という感じでした)
桜良は膵臓の病気を患っていて、余命幾ばくも無いと宣告されていました。
そんな彼女の「共病文庫」を、“僕”こと春樹は病院で偶然拾って、読んでしまいます。
桜良の身内意外で唯一、彼女の病気を知ってしまい、彼女の「死ぬまでにしたいことリスト」を達成することに付き合わされるのです。
“僕”は、学校でも一人で過ごすことが多く、休み時間もいつも読書をしていました。
友達も少なく、群れることもなく、静かに過ごしていた“僕”の生活は、桜良の病気を知ってから一変します。
クラスの誰とも仲が良く、友達の多い桜良と共に過ごす時間が増え、クラスでも注目を集めるようになってしまったのです。
しかし、次第に“僕”も、桜良に心を開き、打ち解けていきます。
“僕”は、多くの友人に囲まれ、みんなから愛され、誰をも認める桜良の姿勢に惹かれていき、
桜良は、一人で生きていく春樹の強さ、自分自身と向き合う揺るぎなさに憧れていく。
そして、その想いは「好き」とか「愛してる」なんてありふれた言葉では表しきれない程、強い想いがこもっていて、『君の膵臓を食べたい』と表現するのです。
私の個人的な見解では、冒頭のシーンで「病気が治るために動物の膵臓を食べたい」と話す桜良が本当に、ただ病気を治すために膵臓を食べたいと言ってるとは思わなかったので、ラストを知っても「やっぱり最初に言ってた通りだ」と思ってしまったのです。
桜良と春樹が惹かれ合って、特別な関係(恋人に限らずとも)になることは映画を観る前から明らかでしたので、そんな春樹に向かって膵臓を食べたいと言う桜良の心境は、『誰の膵臓でもいいわけじゃない、“君の”膵臓が食べたい』だと察してしまいました。
事前情報が極力ない状態で観たにも関らず、オチを察してしまって、それが当たってしまったのは残念でしたが、桜良の死が病気によるものではなかった裏切りはとても良かったです。
作中で、桜良が「君の一日と、私の一日、一日の価値はみんな平等だよ」と言うセリフりました。
春樹が桜良に「残り少ない時間をもっと有効に使うべきだ」と言ったときに、桜良が言うのです。「君だって、明日突然死んでしまうかもしれない。最近、この辺でも通り魔が増えてる」と話すシーンです。
私はこのセリフに感動しました。
余命宣告された桜良も、未来がいつまでもあるように思える春樹にも、明日が来る。明日も生きているという保障はないのです。
このセリフは『余命一か月の花嫁』でも使われてましたが、「明日が来る」ことは当然ではないということです。
そして、そんな大切なことをちゃんとわかっていた桜良に““それ”は訪れます。
もう体が限界に近く、最後の自由として一時退院が認められた日、春樹との待ち合わせ場所に向かう途中で通り魔に襲われて命を落としてしまうのでした。
残された余命を全うすることなく、突然、“明日”を奪われてしまうのです。
その残酷すぎる結末に、尽く裏切られた感がありました。
私はこの“裏切り”が映画としては最高にイイなと思いました。
こういうどうにもならない程絶望的な裏切りのエンディング映画出会えると嬉しくなりますね!
近いうち、原作の小説も読んでみたいと思います。
読書感想文ならぬ、「映画鑑賞感想文」
今月も多くの作品を鑑賞しましたので、その感想をメモ代わりに書き綴っていこうと思います。
今回、鑑賞感想文を書くのはこちらの作品。
『恋空』
『世界の中心で、愛を叫ぶ』
『余命一か月の花嫁』
です。
どの作品も、最愛の恋人が病に侵され、死別してしまう悲しいラブストーリーです。
それでは、個人的な映画感想文にお付き合いくださいませ。
恋空
ケータイ小説という、当時では新しいスタイルで世に出てきた物語を基に、映画化された作品です。
ケータイ小説を書いた美嘉さんが、自身の体験を書かれた小説で、実話が基になっています。
ごく普通の女の子、美嘉と、金髪で怖そうな印象のヒロ。二人は学校でもほとんど口をきいたことがありませんでした。
しかし、ヒロが美嘉の携帯を拾ったことで親しくなった二人は付き合うことに。ヒロの元カノの嫉妬によって、美嘉が乱暴されたり、妊娠が発覚して結婚する決意をするが、またしても元カノによって流産してしまいます。
美嘉はそれでもヒロと乗り越えていきたいと願うのですが、その頃からヒロは美嘉を敬遠するようになり、次第には別れを告げられてしまいます。
失意から少しずつ立ち直っていく美嘉は、大学で知り合った先輩と結婚を前提に付き合い始めます。
美嘉は毎年、赤ちゃんの命日にお花を手向けていましたが、その年はヒロの替わりに同級生のノゾムが来ていました。
そして美嘉は、ヒロが癌に侵されていることを知り、そのせいで自分を遠ざけたことも知るのです。
>>>私もケータイ小説が流行った頃に読んだことがありました。(怪しいと思って、途中でやめてしまいましたけど 笑)
まさかあのお話がこんなにもヒットして、有名になるとは思いませんでした。
そして十数年経て、やっと映画を鑑賞(笑)
何だか感慨深い思いです(笑)
実話とは思えないほど、盛りだくさんな高校生活で、公開当時も現実的ではないという指摘あったそうです。
高校生で妊娠、結婚を決意する、それを元カノに奪われる…
確かに非現実的です。
けれど、実際に身に起こらなかっただけで、結婚したい程の恋愛は経験するでしょうし、元カノの存在がその頃には物凄く大きな影響を与えます。
そんな青春時代ならではの、恋愛のし方が、描かれているように感じました。
世界の中心で、愛を叫ぶ
2004年に公開された通称「セカチュー」。主題歌の「瞳をとじて」共に大ヒットとなりました。
作中の空港でのシーン「助けてください」というセリフも当時、流行しました。
朔太郎は、同じクラスで委員長をしていた亜紀に恋をし、二人は強く惹かれ合い、想い合っていきます。
しかし、亜紀は白血病に侵されてしまうのでした。
>>>私は、「セカチュー」ブームにあやかって、小説を読みました。
人生で初めて、小説で泣いた作品でした。
原作があまりに素晴らしく、感動的だったので、実写映画化はこれまで鑑賞していなかったのです。
そして今回、鑑賞してみたのですが、ハッキリ言って、断然、原作の方が素晴らしいです!
映画化は、大人になった朔が、地元に帰ってきて、亜紀と過ごした場所を巡り思い出に浸るというストーリーになっていました。
原作とは違う設定になっている箇所もあって、原作で感じられたキャラクターの個性が感じられなかったのがとても残念でした。
余命一か月の花嫁
この作品も、実話を基にしたお話です。
「イブニング・ファイブ」で特集された24歳で乳がんを患った千恵さんを主人公に描いた作品。
乳がんが見つかって間もなく、全身への転移が発見され、余命は一か月であると宣告されます。
そんな千恵さんは、同世代の人たちにこの病気を知ってもらいたいと、テレビ番組の取材を受けたそうで、乳がんの恐さを世界に広めてくれました。
千恵さんが癌と闘っていた当時、乳がんに対する認識、知名度は今よりずっと低く、情報を集められなかったそうです。
そして、夢だったウエディングドレスを着て、結婚式を行った一か月後、この世を去りました。
映画では、結婚式の夜、二人きりの病室で指輪を眺めながら、千恵は出会った日を思い返していました。
「太郎ちゃん、覚えてる?」と太郎の振り向くと、寝息を立てる太郎がいます。
千恵は太郎の髪を撫で、「おやすみ、太郎ちゃん」と呟き、そのまま永遠の眠りにつきます。
旅立つ彼女よりも、遺される家族や恋人の痛みに胸が苦しくなる作品でした。
以上。
恋人との死別をテーマにした作品の感想文でした!!
ここ数日で鑑賞した映画をまとめてご紹介!
とある機会があって、ラブコメを観ることがありまして、その感想をまとめてご紹介します!!
『ラブ★コン』
まずは2006年に公開された、身長差コンプレックスを描いたラブコメディ作品です。
身長170㎝の長身が理由で振られたのを機に恋愛にコンプレックスを抱く主人公、小泉役は藤澤恵麻。逆に低身長が理由で振られた156.2cmの親友、大谷役に小池徹平がキャスティングされています。
大阪が舞台のため、関西弁で軽快なトークが飛び交うコミカル要素強めの青春ストーリー。
「このフォーク一本分のカベ」というセリフもありますが、小泉はそれを乗り越えて、告白するんです。なのに大谷は怖気づいて断ってしまいます。
そのくせ、小泉が新任の先生に夢中になるとヤキモチを妬く。
うーん、男気がない!と思ったけど、背が低い男子のコンプレックスはその逆の女子以上に深いのかもしれませんね。
個人的な意見ですが、私も小学生の頃から背が高かったのでそれがコンプレックスでした。なので主人公の小泉ちゃんの気持ちが痛いほどわかって鑑賞していました。
『一週間フレンズ。』
2017年公開の学園友情ストーリー、『一週間フレンズ。』
主人公の藤宮香織は、中学のとき友人からの一言に深く傷つき、その後の事故の後遺症で記憶に障害が出てしまいます。
一週間で記憶が消えてしまう障害で、転校先の高校でも友達を作らずに過ごしていました。
ある日、図書館で長谷祐樹は香織に一目惚れし、どうにか友達になろうと奮闘します。
交換日記を繰り返し、月曜日の彼女に思い出してもらう作戦で、徐々に交流を深めていくのです。
中学や思春期の時期って、本当に些細なこと、一言で深い深い傷を負ってしまうんですよね。狭い世界が全世界だと思っているあの年頃にとっては、トラウマレベルの衝撃になるものです。
ある意味では記憶を失くせた方が幸せという見方もできると思います。そういった障害を抱えてしまう人は、自己防衛のためという見解もありますしね。
『ヒロイン失格』
2015年に公開された、学園ラブコメディ作品。
幼馴染の利太と結ばれるのは自分だと信じ込んでいるヒロイン志望の松崎はとり。ヒロインだと信じ告白されるのを待ち続けていた結果、クラスでも地味な足立さんに利太を取られてしまいます。
落ち込んでいるはとりを励ましてくれたのは、イケメンの人気者、弘光廣祐。次第に関係はこじれていき、四角関係になっていきます。
女の子は誰でもヒロインに憧れますし、恋愛においてありがちな悩み、「私が好きな人か。私を好きな人か。」をテーマに描かれたコミカルで可愛らしい作品となっていました。
視聴した作品の感想をインタビューされました!
-Make Your Life Better-メルヴィーで「作品の感想を視聴者にインタビュー<椎名水無月さん編>」こちらにてインタビューの内容が掲載されました。
名作『ゴッド・ファーザー』を鑑賞したら意外な作品でオマージュされてた!
クラシックの名作『ゴッド・ファーザー』、観たことありますか?
私は映画好きを名乗っているくせにお恥ずかしいのですが、クラシック映画は案外見ていないものが多いのです。。
『ゴッド・ファーザー』然り。。
ところが先日、午後のロードショーで放送されていたので、これはチャンスと思い、鑑賞してみました。
正直『ゴッド・ファーザー』のお話し自体はちょっと長ったらしくて、何度、断念しようと思ったことか…(笑)
クラシック作品って長時間のものが多いですよね(ボソっ…)
ではまずは、簡単にあらすじを…
マフィアのボス、ドン・コルレオーネは“ファミリー”の絆や約束を守る律儀な男でした。
血の繋がった息子や娘たちはもちろん、繋がりのない葬儀屋やミュージシャンなど、これまでに色んな関係で繋がっていた人たちを大事にし、サポートをしてきました。
しかし、ニューヨークマフィアの五大ファミリーである、タッタリア、ソロッツォとの抗争が始まり、ドンが襲撃されてしまいます。
それをきっかけに息子たちは復讐に燃え、殺し合いを始めていきます。
そして、マフィアの稼業に関わらずにいた、軍人のマイケルまでも、父の仇のために悪事に手を染めます。
襲撃で命を繋ぎとめたドンは回復後、復讐を止め、和解するように五大ファミリーを集めます。
そうして抗争は終わったかに見えたのですが、ドンの病死後、マイケルは他のファミリー全員を殺し、次期ドンの座に就くのでした。
簡単にまとめると、こんなざっくり完結なお話なんですが、これが何と3時間!!
長いっ……(笑)
正直、なぜこの作品が当時大ヒットとなったのか、オスカーが獲れたのか不思議でした。
特別、衝撃的な展開があるわけでもなく、淡々とマフィア同士の抗争を描いているだけなのに。
一説では、公開された1972年当時、まだマフィアの世界というのは一般には知られていない時代だったようで、それを題材にした本作が衝撃だったと言われています。
『ゴッド・ファーザー』の公開を機に“これがマフィア”とイメージを確立させたことは間違いないのでしょう。
そしてそのイメージの根強さから、未だにオマージュとして使われることも多くあります。
午後のロードショーで放送された6月15日㈮は、金曜ロードSHOW!でディズニーの『ズートピア』が放送されました。
動物たちが人間のように暮らす大都市、ズートピアで初のウサギの警察官になったジュディと、詐欺として生活していたキツネのニックの物語です。
『ズートピア』の中で、ジュディとニックが犯人の手がかりを見つけるのですが、それは、ニックが以前に騙していたマフィアMr.ビッグに繋がっていたのです。
そのMr.ビッグのモデルになっているのが、『ゴッド・ファーザー』のドンなのです!
左:『ズートピア』のMr.ビッグ 右:ドン・コルレオーネ
『ズートピア』は公開されたときに、映画館で鑑賞していましたが、まだ『ゴッド・ファーザー』を知らなかったので、
「マフィアつったらこういうのだよな~」
くらいにしか思っていませんでした。
作品を観ていない私でも、マフィアのイメージ通りのキャラクターになっていたのです。それだけ『ゴッド・ファーザー』の影響力が大きいということですよね。
そして、その後『ゴッド・ファーザー』を鑑賞しましたら、ただ見た目を真似ただけでなく、
・ドンとMr.ビッグの声
・娘の結婚式という設定
家族での写真撮影(ドンの娘の結婚式にて)
・娘のウエディングドレスから髪型
ボリューミーなヘアセットに、襟ぐりのデザインまで同じ
Mr.ビッグに関わるほとんどがオマージュだったのです!
それに気付いたとき、だから映画って最高。と思いました(笑)
クラシックの名作はこういう形で、今でも生きているんですよね。
あまりに有名すぎる作品はこういったオマージュも多いのでしょうから、オマージュ探しをしてみるのも、また新しい映画の楽しみ方かもしれませんね!
今さらながら鑑賞!『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』
1997年からオフ・ブロードウェイで上映された作品が最初のようです。
(オフ・ブロードウェイとは、500席未満の小さな劇場のことを言います。ブロードウェイにあったとしても、小さい劇場であれば「オフ・ブロードウェイ」と呼ばれるそうです。)
その映画化が公開されたのは、2002年(アメリカでは2001年)でした。
主演を務めたのはジョン・キャメロン・ミッチェルというアメリカの俳優で、本作でも監督と脚本も手掛けています。
あらすじ
まだベルリンの壁で東と西に分かれていた時代。ヘドウィグはまだハンセルという名前で男性として過ごしていた。ある日、ルーサー軍曹と出会い、結婚を申し込まれる。ハンセルの母親は、ヘドウィグと名乗り性転換手術を受け、女性としてアメリカに渡りなさいと、自分の名前と一緒にパスポートを渡します。
しかしその手術は失敗してしまい、股間には隆起した肉の塊が残ってしまうのでした。(これがアングリー・インチ「怒りの1インチ」)
そしてベルリンの壁が崩壊された日、最初の記念日に、ルーサーはヘドウィグの元を去ってしまいます。
そこからベビーシッターをして生活しつつ、韓国人女性たちとロックバンドを始めます。ベビーシッターのお家で出会ったトミーという若い少年と出会い、二人で音楽を制作して過ごします。
しかし、トミーはヘドウィグの股間に気付いた瞬間、逃げるように去ってしまうのでした。更に二人で作った音楽でロックスターとして成功してしまい、ヘドウィグは絶望します。
“愛”を求める物語
ヘドウィグは幼い頃、母親から聞かされたプラトンの「愛の起源」を信じている節があり、誰にも片割れがいるのだと歌います。そしてそれが“愛”なのだと。
同性愛に厳しかった時代、恋をすれば裏切られた経緯、色んなことに邪魔をされながら自分の片割れ“愛”を探し求める物語です。
ロックバンドのツアーとして各地を巡りながら、愛を求め自分自身を探す旅でもあったのです。
ヘドウィグを生み出した、主演のジョン・キャメロン・ミッチェル
性転換手術を受けてからは女性として生きて行くヘドウィグを演じるジョン・キャメロン・ミッチェル。
彼は作曲家のスティーヴン・トラスクと共にヘドウィグというキャラクターを生み出し、舞台時代からその役を演じてきました。
作中ではほとんどのシーンで女性として登場し、男性に見えないほどキレイで美しく見惚れてしまいました。しかし後半に男性として登場すると、今度はカッコよく惚れ惚れするような筋肉美を披露しています。
女性にも見えて男性にも見えて、そのどちらもとてもレベルの高い美しさ。
見ていて何だか不思議な感覚になりました。
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の考察
私がこの作品を観て感じたのは、ヘドウィグは女でもあり、男でもあるのです。恐らく、本人にとって性別はさほど重要なことではないのでしょうね。
ただプラトンの「愛の起源」にあるように、自分の片割れを求めていただけ。
自分の片割れが現れて一つになったとき、自分自身が出来上がる、完成すると信じていた。というより、そう信じなければ自分を保っていられなかった。
愛を求めているようで、実は自分自身を肯定したかったのだと思いました。
ラストシーンで裸になったヘドウィグが歩いて行くシーンがあるのですが、色んな柵から解放されて、自分で自分を認めてあげられるようになったという描写なのでしょう。
作中で使われた音楽はマドンナにも絶賛され、その権利を求めたといいます。
そのエピソードも納得の、初めての鑑賞でも心に響くような楽曲ばかりで、ヘドウィグの波乱の人生に胸を打たれました。