水奈月の独り言

映画についての個人的な見解と、ときどき物語。

映画「アルゴ」を鑑賞しました!

1979~1980年に実際に起こった「イランアメリカ大使館人質事件」を題材にした作品です。

主演、監督をベン・アフレック一人二役で務めた本作は、アカデミー賞作品賞を受賞しました。

 

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私はその事件さえ知らなかったので、鑑賞前は難しいのかと身構えていました。

確かに、時代背景を知らないというのは理解しにくくなってしまいますけど、思っていた以上に面白く鑑賞できました。

 

ざっくりとあらすじをお話しますと、

イランにあるアメリカ大使館がイラン革命の際に占拠され、52人のアメリカ人大使館員が人質にとられた事件です。

しかし大使館が占拠される直前に6人の大使館員が脱出し、カナダ大使公邸に逃げ込んでいた。

イランの革命評議会はそれに気付かず、CIAのトニー・メンデスが彼らの救出を依頼された。

彼らが大使館員だとバレずに出国される方法を考え、教師案や農業の専門家案などいくつかの作戦が検討されたが、実行されたのは「映画の制作チーム案」でした。

『アルゴ』という映画を制作するためにロケハンに来たという設定で、脱出するという前代未聞の作戦でした。

 

実話と映画ではもちろん、脚色もされており、よりハラハラするような演出がされています。

実話を基にしている映画というのはそういうものですよね。

だからこそ映画の作品として高い評価を受けるのでしょう。

 

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この作品もラストに向かってドキドキハラハラが加速します。

きっと、当事者の人たちはこれとは比べものにならないようなドキドキを味わったのだろうなと想像することもできて、とても興奮しました。

そういったところもこの映画の魅力です。

久しぶりに興奮する、緊張する作品に出会えた気がします。

「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」を観てきました!

久しぶりに映画館で鑑賞してきたのは「猿の惑星」でした。

1968年に公開され、映画ファンなら誰もが知っている有名なラストシーンの「猿の惑星」のほぼ直前が描かれた作品。

 

エイプたちが人間を奴隷として使い、支配するようになるまでをリムーブとして新たに公開された新シリーズ。

グレート・ウォーはその最後の作品となります。

「創造期(ジェネシス)」で新型ウイルスがエイプたちを進化させ、人間が死に至っていく。

「新世紀(ライジング)」では人間と共存しようとするシーザーと、人間をどうしても信用できないコバが分裂し争いが起こる。人間の中でもエイプを絶滅させようとする者、エイプと共存を願う者とで分裂していた。

それは同時に、人間とエイプの戦争に繋がっていく。

そして最新作の「聖戦記(グレート・ウォー)」ではその戦争の結末が描かれている。

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68年公開の「猿の惑星」の数十年前の時代と思われる時代設定になっていて、シリーズが完結したと思われます。

 

エイプたちが進化したウイルスが変化し新型の『猿インフルエンザ』と呼ばれるウイルスが広がり始めた地球。

そして望んでいなかった戦争に巻き込まれ、戦わざるを得なくなったシーザーたち。

人間たちはこれ以上の被害を出さないためにエイプに戦いを仕掛けていくが、シーザーは殺し合うのではなく、自分たちの暮らしを守りたいのだと主張を続ける。

しかし家族を殺され、初めて人間に復讐することを考える。

その軍を追って行く途中で知る、人間同士の争い。

新型のウイルスに感染した人間は言葉を失ってしまい、理性をも失くしてしまう。

その感染から人類を守ろうとする大佐は感染者を容赦なく殺していく。

しかしそのやり方に反対する別の軍隊も存在しており、三つ巴の闘いが始まる。

 

コーネリアスやノヴァ。オランウータンのモーリス(後のザイアス博士)といった、最初の作品に繋がるキャラクターも多く出ていて、物語が繋がるのは見どころでしょう。

 

おまけ

ノヴァ役のアミア・ミラーちゃんが最高に可愛いのでそこにもぜひ注目してみてください!!

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ディズニー映画『インサイドヘッド』に見る、あなたの種族!

先日、とあるきっかけで「メタファー(隠喩)」という言葉を知りました。

≪【隠喩】「…のようだ」「…よりも…だ」といった対比形式でたとえることをせず、「雪の肌・文は人なり」のような暗示に訴える表現を用いて、そのものの特徴を説明する方法。≫-新明解国語辞典より

 

そして私はそれが得意だとお褒め頂いたのです。

ですが、このブログは一応[映画ブログ]と名乗っているので、何かしらの映画を持ち出さないといけないかと思いまして、今回はディズニーの『インサイドヘッド』をベースに書いてみようと思います。

 

『インサイドヘッド』は、11歳のライリーという女の子の頭の中にある5人の感情たちの物語です。

ライリーが生まれたとき、両親の笑顔を見て初めて感情、ヨロコビが生まれたところからお話が始まります。

そしてヨロコビは『ライリーのこの笑顔をずっと見ていたい。ライリーを幸せにすることが自分の使命だ』と思います。

しかしすぐにライリーは泣き出し、気付くとヨロコビの隣にはカナシミという感情が生まれています。

そして次々に感情は生まれてきて、ビビリ、ムカムカ、イカリという5人がライリーの心と言動に影響を与えるようになるのです。

11歳のライリーと5人の感情たちが共に成長していくお話です。

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物語の中で、ママやパパの頭の中も出てくるのですが、それぞれの“指令部”にメインで指揮をとる感情が違うのです。

ライリーはヨロコビ、ママはカナシミ、パパはイカリが指揮をとって、それぞれの感情たちと連携して、心や行動をコントロールしているのです。

 

これを鑑賞していると、自分のメインの感情は誰なのかなと思います。

そこで、今回はそのメインの感情に分けて自分の種族を考えてみようと思います。

 

種族という部分がメタファーです。宗派でも党でもいいのですが、今回は種族にしてみます。

インサイドヘッドとは別のお話(架空)を構成して、種族が違うとはどういうことなのか書いてみますので、みなさんもご自分の立場などに当てはめてみてください。

 

主人公はA子。その恋人はB太郎。

A子は人との争いやぶつかることを避けたいタイプで、メインの感情はカナシミです。

心が乱れたり、落ち込んだりしやすく繊細でした。

彼のB太郎は真逆とも言える性格で、メインの感情はもちろんヨロコビです。

悲しんでいることはよくないこと、楽しいことだけを考えて先に進もうと思っています。

 

ある時、A子は母のC美に言われた言葉で傷つきます。

それは、A子が可愛がっている愛犬についてのことでした。ちなみにこの愛犬のメイン感情はビビリ、D子としましょう。

母C美は「いつかD子はいなくなるんだから覚悟しておきなさいよ」と言いました。

(母C美のメインの感情はヨロコビです)

A子にとってD子の存在は心の支えでした。D子がいるから自分の存在価値を感じられて、どんなに悲しいことがあってもD子がいるからと慰められてきたのです。

A子は心の奥底で『私の心が壊れたとき、私の魂はD子の中に逃げていったんだ』と半ば本気で思っていました。

そのくらいA子とD子は一心同体だったのです。

なので母C美に「覚悟を」と言われても想像できなかったのです。想像したところで、目の前のD子は元気だし、いなくなったことを考えて悲しくなるだけなので、言われる度に嫌な思いをしていました。

その愚痴をB太郎に話したのです。

「母が私を心配して言っているのはわかるけど、言われてもその時がきたらどうなるかわからない。覚悟していても悲しいものは悲しいと思う。わかってたから悲しくない、平気ってわけにはいかないよ」とA子は吐き出しますが、

「でもお母さんはあなたにそう言うことで、自分も覚悟をしているんじゃないのか」とB太郎は励まそうとします。

A子はそんなことを望んではいませんでした。ただ愚痴を聞いてほしかったのです母がどう思っているのか、それがわかったところで私の悲しみは消えないのだから、この悲しみに寄り添ってほしかった。

けれどB太郎は『こんな風に考えたら気持ちが楽になるんじゃないか』『こう思えたら心が軽くなるんじゃないか』とA子のことを思って言っているのです。

悲しみに打ちのめされて、先に進めずにいるA子をどうにか救ってやりたい。先に進めるように後押ししてやりたい。だって悲しんでばかりいられないでしょう、と。

 

そして次第にA子はその励ましに疲れてしまい、『そうなれない自分がいけないのか』と思い始めます。B太郎に至っては、自分の意見が通らず、受け入れようとしないA子に苛立ち始めます。そして今度はそのことを母C美に話しました。

「私が悲しんでいるとき、彼は楽になれるようにと励ましてくれるけど、私はその解決策を求めていないの」と。

母C美は「でも彼はあなたのことを思って言ってくれてるのよ、きっと」と答えます。

 

こういったパターンはいつも起こることで、A子はまたか、と更に悲しくなります。

 

B太郎とC美のようにヨロコビがメインの種族たちは、自分たちのやり方が一番優れていて、生きやすくて、何より楽しいのだから、みんなもそうすればいいのだ。と強く思っている節があります。

ところがA子のように悲しいことに耐え、泣き続けてからでないと気持ちを切り替えられない種族もいるのです。まずは今の悲しみを受け入れ、「悲しい」と言って思いきり泣き、できれば誰かに『悲しいね』と言って一緒に泣いてほしい。自分の悲しみを肯定してもらいたいのです。

 

実際に映画インサイドヘッドにこんなシーンがあります。

大切にしていたものを失くして落ち込み、悲しんでいる子をヨロコビは楽しませて悲しみから救い出してあげようとします。

しかしその子は泣き止みません。その子の助けが必要なヨロコビは「あーもうどうしたらいいの」と嘆きますが、カナシミはその子の隣に座って一緒に泣いてあげます。

「悲しいよね、大切にしてたんだもんね」と手を添えながら悲しみを受け止めてあげるのです。

ひとしきり泣いてからその子は「ありがとう、もう大丈夫」と言って先に進みだします。それを見ていたヨロコビは「どうやったの?」とカナシミに聞きます。

カナシミは「何も。ただ悲しんでいたから…」と言います。

それまでカナシミは自分の邪魔ばかりして、ライリーの幸せの為にならない『要らない感情』だと思ってたヨロコビは、始めて役に立ったカナシミの行動に理解できなかったのです。

 

 

A子の求めるものはカナシミにように寄り添ってくれることでした。

けれどヨロコビがメインの種族たちには、その発想がありません。

悲しいのならその悲しみを取り除こう、脱しようと努力してしまうのです。

それぞれ違う種族。違う人間なのだから、やり方や通り道が違って当然なのですが、B太郎やC美たちは自分たちの種族が強く、正しいと信じているのでそれとは違う方法を理解できません。

「どうしてこうしないの?この方が早く先に進めるじゃない!」と。

 

しかしA子のような種族たちは急いで先に進もうとは思っていません。

そもそも、先に進むことがそんなに大事なのかと思っています。

先に進めなくてもいいじゃない。これが私たちなんだからと認め合えればそれでいいじゃない。それが先に進むということになるかもしれない。と。

 

A子の周りにも同じ種族の人たちがいればいいのですが、残念なことにいません。

身近で影響力の大きい母と彼という存在が違う種族で、しかも他種族の考えややり方に理解できない人たちばかりだと、A子はとても孤独になってしまいます。

A子は、自分が求めたときだけでいいから、私のやり方に合わせてくれないかな、と願っています。

他種族がいることをまず認め、一緒に居るためにはその違いを認め合って、時には自分を抑えて合わせなくてはいけないと思っているのです。

 

その願いが届くといいのですけど。

私の大好きな映画の一つ「魔法にかけられて」 その中でも大好きなワンシーンをご紹介!

私のFavorite Movieの一つ。

魔法にかけられて

ディズニーが、ディズニー映画のパロディを満載に作った、実写とアニメの交ざったファンタジー映画です。

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中でも私のお気に入りシーンをピックアップしてご紹介します!

 

約4分間のシーンですが、私はこの4分にこの作品の素晴らしさがぜーーんぶ詰まっていると思っています!!

 

そのシーンとは、映画の終盤、「So Close」という歌が歌われる舞踏会のシーンです。

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主人公のジゼル(エイミー・アダムス)がおとぎの国からNYにやってきて、ロバート(パトリック・デンプシー)と出会います。

ロバートはおとぎ話も信じないし、歌もダンスもしないガチガチの現代人。

二人は一緒に過ごすうちに惹かれ合っていくのですが、ジゼルにはエドワード王子(ジェームズ・マースデン)が、ロバートにはナンシー(イディナ・メンゼル)という彼女がいて、惹かれている気持ちに気付かないふりを続けるのです。

エドワードの「この舞踏会が終わったら、一緒に帰るよね?」という問いに「もちろん」とジゼルは答えるが…

 

そして舞踏会はハイライトに。今日、お連れの方以外とのダンスをお楽しみくださいというワルツタイムに、エドワードはナンシーをエスコートして行きます。

 

そこからのシーンを少し細かく、マニアックに解説します。

もちろん、私の妄想も含まれています(笑)

悪しからず。

↓  ↓  ↓

 

残されたロバートとジゼルは初めてのダンスに…。

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ダンスは好きじゃないと言っていたロバートが「Shall we?」とダンスに誘う一面にドキッとするジゼル。

 

 

二人がドキドキしながら、ときめいているだろう感が伝わる、ぎこちない雰囲気。

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お互いに、気持ちが読み取れないかと伺うように硬い表情で見つめ合います。

それぞれの想いを隠そうとしながらも、相手も同じ気持ちでいてくれないかと、二人とも思っているように見えます。

 

 

ロバートのリードで、手を重ねる二人。

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ロバートが差し出した手に自分の手が重なることの意味を噛みしめるように、ゆっくりと自分の手を差し出すジゼルの、切なげな表情にこちらまでドキドキしてしまいます。

 

 

歌うのも苦手だと言ったロバートの初めての歌声。

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歌なんて歌わないと言っていたロバートが、「So Close」を口ずさみながらリードします。

ジゼルをじっと見つめて、歌詞を歌うロバートに驚くジゼルの表情からときめいていることが読み取れます。

 

 

そのままジゼルの耳元で囁くように歌い続けます。

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ジゼルの耳元でちょうど歌詞が「We are...」になり、その単語に感動するジゼル。

初めてのダンスに初めての歌。今までのロバートでは考えられなかったことばかりで、ジゼルも幸せそうな笑みをこぼします。

今は「私たち」二人だけ。

 

 

そして頬を寄せ合う二人。

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ジゼルはロバートの言葉に感動し、恐らく自分の気持ちにも気付いてしまったのでしょう。

その気持ちが痛いほど伝ってきて、この切ない表情に胸が締め付けられそうです。

 

 

音楽も盛り上がり、二人は心を通わせていきます。

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音楽も気持ちも最高潮に達し、踊り始めた頃のぎこちなさはもうありません。

今、この瞬間、ただダンスを楽しむ二人。

自分たちの恋心も、パートナーのことも忘れて、二人だけの世界を堪能します。

 

 

そこへパートナーたちが戻ってきて、二人は離れ離れに。 

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二人だけの時間が終わるとき。自分たちの気持ちを強く感じてしまいます。

今までの時間がどれほど幸せだったか、離れることがこんなに悲しいなんて、この気持ちってもしかして…

ダンスを通して自分の気持ちに気付いてしまったジゼルとロバートには辛い別れになります。

 

 

ナンシーと引き続きダンスをするロバート。

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ジゼルを見送り、ナンシーとダンスを続けますが、ロバートの表情にはもう笑顔はありません。

キスを交わしてもどこか義務っぽく、感情が読み取れません。

 

 

そんな二人を見つめるジゼル。

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自分の気持ちを知ってしまい、それを打ち消そうを葛藤しながら、キスするロバートとナンシーを泣きながら見つめるのです。

 

さっきまであんなに傍で幸せを感じていたのに、今はこんなに遠くにあなたを感じる。

So Close」の歌詞通りの切ないシーンでもあります。

 

 

髪型やドレスなどでもお互いがお互いの影響を受けていることがわかります。

現代風のドレスにヘアスタイルで現れたジゼルは、NYに馴染んできていることが表わされていて、

ロバートはジゼルの影響でおとぎの世界や、夢見ることを思い出していることを表した衣装になっています。

二人の心が溶け合って、それぞれの世界が交ざっていることが表現されたシーンなのです。

 

 

現代のNYに馴染んで、楽しく感じ始めていたジゼル。

ジゼルの性格に影響され、夢見ることを思い出し始めていたロバート。

それぞれがお互いの一部を吸収し合い、恋が生まれ始めていたタイミングでの舞踏会。

このお話の全てがこの4分に詰まっているとも言える、感動的なシーンです。

 

ご鑑賞の際はぜひ、意識して観てみてください!!

 

【午後のロードショー】で鑑賞!「エイリアン」と「エイリアン2」おさらい!!

今回は、午後のロードショーで観た、『エイリアン』と『エイリアン2』です!

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シガニー・ウィーバー出世作で有名なSF映画ですが、意外と記憶が曖昧だったりしませんか?

私はそうでした(笑)

リプリーがエイリアンに追い込まれて、鼻先まで近づいてくるのだけどそのまま去っていき、自分にエイリアンが宿っていることを知り、リプリーは自ら炎の中に飛び込むが、途中でお腹からエイリアンが生まれてくる。

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このシーンがとても印象的で、逆に言えばこのシーンしか記憶にないと言える程度でした(笑)

エイリアンがどこから来たのか、なんで人間を襲うのか、リプリーたちの宇宙船にどうやって侵入したのか、全く記憶になかったのです。

 

なので、先日「午後のロードショー」でエイリアン1、2の放送を見つけたので鑑賞しました。

ところが…リプリーは無事に生き残って終わった。

 

まぁ一作目の「エイリアン」は、私の知らない作品だろうとわかっていましたが、「エイリアン2」も知らないものでした(笑)

もしかしたら私のように、「実はほとんど記憶にないんだけど今さら知らないとは言えない」という方もいるかなと思ったので、“エイリアン”について書いていきます!

 

※2まででわかっているエイリアンについて書いてます。

『エイリアン』

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とあるミッションを終え地球に帰還する途中のリプリーたちだったが、本船のAI「マザー」がある信号を受信し、軌道を変更していたことに気が付く。

地球に軌道を戻そうとするが、会社との契約に反すると「アッシュ」が阻止した。

契約違反のまま帰還しても給料は貰えないというアッシュの主張に従い、その信号の発信源へ向かうことになった。

船長と2名のクルーが船から降りて調査に向かう。

船に残ったリプリーはマザーが受け取った信号の解析をしていて、それが“SOS”ではなく、何かを警告するものだったことに気付く。

船の外では古い宇宙船を発見し、その中に多くの卵を発見する。卵を調査したクルーは孵化した生物を顔面に張り付けたまま船に戻ってきた。

そのクルーは謎の生物によって酸素を送り込まれていて、まだ生きていたため生物を取り除くことができなかった。

しかし突然その生物はいなくなり、そのクルーも目を覚ました。ところが、みんなで食事をしていると急に苦しみだしテーブルの上に倒れると、お腹からエイリアンが飛び出したのだった。

 

エイリアンとの戦いはそこから始まっていました。

その後リプリーがマザーに問いかけ、エイリアンを持ち帰ることが会社からの極秘任務で、それはアンドロイドのアッシュに一任されていたことが判明します。

会社はエイリアン捕獲のためには、クルーの犠牲もやむを得ないとしていて、リプリーたちはアッシュを破壊し、脱出を試みる。

 

一作目ではその一匹のエイリアンから逃げ切るところで終わりでしたが、“2”ではまたエイリアンに襲われることになるのです。

 

『エイリアン2』

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会社はエイリアンの捕獲を諦めておらず、リプリーたちが着陸した惑星にコロニーを作り、移住させていたのだった。

ハイパースリープで57年も宇宙を漂流していたリプリーは保護され、エイリアンに詳しいからという理由でその惑星へ戻ることになる。

そこで唯一生き残っていた女児、ニュートを発見する。宇宙を漂流していた間に愛娘を亡くしてしまったリプリーは必死で守り、母娘のように絆を強くしていく。

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こういったパニック系は大体パターンが一緒で、全体の印象は結局「懲りないなぁ」という感じですね。(それを言っちゃ終わりなんですが…笑)

 

でも1979年にあれだけの映画を作ったのかと思うと、映画史に残るのも頷けますね。

エイリアンが宇宙船に侵入してしまった経路や、それを会社側が望んでいたという裏切りや、ストーリーがきちんと成り立っているので純粋に「怖い」と思いましたもん。

ちなみに、一作目はリドリー・スコットが監督だったのですが、二作目(1986年)はジェームズ・キャメロンが監督を務めています。

その差なのか、時代(技術の進歩)なのかわからないけど、二作目の方がとても見やすくなっていましたね!

一作目は銃を撃つシーンは画面がチカチカして、人によっては苦手だろうなと感じました。

(これも映画の感想っていうのかな 笑)

大遅刻!今さらだけど、金曜ロードSHOW「崖の上のポニョ」を解説してみる。

しばらく更新せずに時間が空いてしまいました。

そしてやっと更新したと思ったら先週の金ロー「崖の上のポニョ」について書くというなんともだらしないことでごめんなさい(笑)

 

 

私はポニョを公開したとき、割と早い段階で映画館に行きました。

(なぜだろうw)

初見から感想はあまりよくなくて、私の中で『もう観ない映画』という括りにしていました。。

 

お話しの内容も不思議なままの事が多くて、それがまずモヤモヤしてしまった。

そしてポニョのキャラクターが鬱陶しかった。(お好きな方、ごめんなさい。。)

 

なので今回の金ローも興味をそそられませんでした。

けれど他に見たい番組なかったので、流し見にしていました。

 

結果、やっぱりよくわからない。

ポニョのキャラクターは受け入れられるようになっていましたけど♡

(大人になったんだな、としみじみしてしまったw)

きっと甥っ子と姪っ子ができて、彼らに重ねて見ることができたからだと思います!

 

『そうすけー、じょーじょーだねー。りっぱだねー』っていうポニョを素直に可愛いと思えました!

でもお話の内容は不思議なことがいっぱいのまま。

 

けど童話の『人魚姫』を基にしているということなので、ディズニーの『リトル・マーメイド』に置き換えて解釈してみようと思いました。

ディズニー大好きなのでこっちのが断然わかりやすいので!!

 

ストーリーの流れが「リトル・マーメイド」とは異なりますし、アースラにあたるヴィラン(悪役)は出てきません。

そこはあらかじめ言っておきます。

 

では、ポニョのストーリーをリトル・マーメイドの役たちに置き換えてあらすじを辿りますね。

 

人間の世界に興味のあったアリエルは、トリトンの目を盗んで海の上に出て行きます。

海に漂っていたゴミにひっかかってしまい、動けずにいました。そこをエリックに助けられ一目で恋に落ちます。

そのとき、怪我をしたエリックの傷口を舐め、人間の血を口にします。

海の底戻されたアリエルは、トリトンに「もう勝手に出ていくな」と忠告されますが、「エリックに会いたい」と主張します。

元々備わっていた魔法を使い、エリックの血を舐めたことで自ら人間に変身し、エリックの元へ行きます。

エリックと人間の世界で過ごすアリエルを見かねたトリトンは、妻に助けを求めます。

アリエルの母でもあるその人は『いっそアリエルを人間にしてしまいましょう』と申し出ます。そしてアリエルとエリックの愛を試す試練を与えるのです。

エリックの愛が本物でなければアリエルは人間として生きていくことができないからです。

そして台風の翌日、エリックの母を探す冒険に二人は出かけていきます。

その冒険で二人がエリックの母を見つけることに成功し、試練をクリアします。

最後はアリエルとエリックがキスを交わし、人間として生きていくことになるのです。

 

 

という具合ですね。

うん、とてもわかりやすくなった!(笑)

 

童話の「人魚姫」は最後、王子を守って泡になって消えてしまいますが、ディズニーがそれを結ばれるハッピーエンドで作り、ジブリが子どもを主人公にして作ったということでしょうか。

 

グリム童話もそうですが、昔に書かれたお話は案外、残酷で怖いストーリーになっていることが多いですよね。

私は、それはそれで好きなんですけど♪

本物のフラガールに会えた!その余韻に浸りながら、映画「フラガール」を振り返る!!

初めて「フラガール」を観たのはいつだったかな。

何故だかハッキリ覚えていないw 映画館だったのかどうかもww

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でも初めて観たときからいつか本物のフラガールに会いに福島に行きたいと思っていたことは覚えている。

今では台詞や振りを覚えるほど、大好きな映画。

そして先日、長年の夢だったハワイアンズへ出かけてきました!!

 

ダンスのステージも昼夜とも見れたし、映画のラストの衣装も生で観ることができた!!

とにかく感動☆

やっぱりフラとかタヒチアンの振りは女性らしくて色っぽくて素敵だった。

 

映画のメインとも言えるラストのダンスはそのままの振りで、本当に映画が再演されたみたいで魅入ってしまった。

 

南海キャンディーズしずちゃんが女優デビューしたことでも話題になった映画「フラガール」。

あらすじは言わずもがな。

 

昭和40年、石炭で栄えていたいわき市常磐炭鉱。しかし山の閉鎖が相次ぎ、リストラで職を失う炭鉱夫たちが増えていた。

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そこで町おこしの一環として、総工費18億をかけて「常磐ハワイアンセンター」が建設されることになった。

町民には反対する人たちも多く、その建設には様々な努力や問題があった。

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炭鉱で生きてきた人たちを守るため、山が閉鎖しても生きていくためのプロジェクトで、その理念は『炭鉱人の炭鉱人による、炭鉱人のための』もの。

よってフラを踊るダンサーたちもこの町から生み出そうと、炭鉱娘たちが集められたのだった。

 

しかし、反対している人たちは「汗水流して、泥だらけになって働くことこそ“仕事”だ」という価値観が残っていて、「裸で踊るなんてみっともない」と認めなかった。

それでも彼女たちは「家族のため」とフラの特訓を重ねるのだった。

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こうして炭鉱人たちが色んな試練や葛藤を乗り越えて、ハワイアンセンターが完成するまでを、実話を基に描いた作品である。

 

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東京からフラの教師として、松雪泰子演じる“平山まどか”が一人で踊るシーンがある。

 

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映画の終盤では、蒼井優演じる“谷川紀美子”がそれを受け継ぎ、ソロで披露する。

 

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私が映画最も魅了されたラストシーンだけあって、先日ハワイアンズで本物を見れたときには口を開けて見惚れた。

 

私が鑑賞したとき、映画と同じ振りなことに途中で気付いたのだが、調べてみると映画の振りがベースになっているのだとか。

2010年辺りまでは完全に映画と同じ振りだったらしい。

 

またダンサーさんによって若干のアレンジやクセなどもあるようで、好みがあるかもしれない。

ロダンサーになるとハワイアンネームを授与され、昼と夜のショーでトリを飾れる。

映画でもお馴染みの白と赤のタヒチアン衣装はソロダンサーのみが着れるもののようだ。

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その日によってソロパートを誰が担当するのか、観に行く度に楽しめそう。