ディズニー映画『インサイドヘッド』に見る、あなたの種族!
先日、とあるきっかけで「メタファー(隠喩)」という言葉を知りました。
≪【隠喩】「…のようだ」「…よりも…だ」といった対比形式でたとえることをせず、「雪の肌・文は人なり」のような暗示に訴える表現を用いて、そのものの特徴を説明する方法。≫-新明解国語辞典より
そして私はそれが得意だとお褒め頂いたのです。
ですが、このブログは一応[映画ブログ]と名乗っているので、何かしらの映画を持ち出さないといけないかと思いまして、今回はディズニーの『インサイドヘッド』をベースに書いてみようと思います。
『インサイドヘッド』は、11歳のライリーという女の子の頭の中にある5人の感情たちの物語です。
ライリーが生まれたとき、両親の笑顔を見て初めて感情、ヨロコビが生まれたところからお話が始まります。
そしてヨロコビは『ライリーのこの笑顔をずっと見ていたい。ライリーを幸せにすることが自分の使命だ』と思います。
しかしすぐにライリーは泣き出し、気付くとヨロコビの隣にはカナシミという感情が生まれています。
そして次々に感情は生まれてきて、ビビリ、ムカムカ、イカリという5人がライリーの心と言動に影響を与えるようになるのです。
11歳のライリーと5人の感情たちが共に成長していくお話です。
物語の中で、ママやパパの頭の中も出てくるのですが、それぞれの“指令部”にメインで指揮をとる感情が違うのです。
ライリーはヨロコビ、ママはカナシミ、パパはイカリが指揮をとって、それぞれの感情たちと連携して、心や行動をコントロールしているのです。
これを鑑賞していると、自分のメインの感情は誰なのかなと思います。
そこで、今回はそのメインの感情に分けて自分の種族を考えてみようと思います。
種族という部分がメタファーです。宗派でも党でもいいのですが、今回は種族にしてみます。
インサイドヘッドとは別のお話(架空)を構成して、種族が違うとはどういうことなのか書いてみますので、みなさんもご自分の立場などに当てはめてみてください。
主人公はA子。その恋人はB太郎。
A子は人との争いやぶつかることを避けたいタイプで、メインの感情はカナシミです。
心が乱れたり、落ち込んだりしやすく繊細でした。
彼のB太郎は真逆とも言える性格で、メインの感情はもちろんヨロコビです。
悲しんでいることはよくないこと、楽しいことだけを考えて先に進もうと思っています。
ある時、A子は母のC美に言われた言葉で傷つきます。
それは、A子が可愛がっている愛犬についてのことでした。ちなみにこの愛犬のメイン感情はビビリ、D子としましょう。
母C美は「いつかD子はいなくなるんだから覚悟しておきなさいよ」と言いました。
(母C美のメインの感情はヨロコビです)
A子にとってD子の存在は心の支えでした。D子がいるから自分の存在価値を感じられて、どんなに悲しいことがあってもD子がいるからと慰められてきたのです。
A子は心の奥底で『私の心が壊れたとき、私の魂はD子の中に逃げていったんだ』と半ば本気で思っていました。
そのくらいA子とD子は一心同体だったのです。
なので母C美に「覚悟を」と言われても想像できなかったのです。想像したところで、目の前のD子は元気だし、いなくなったことを考えて悲しくなるだけなので、言われる度に嫌な思いをしていました。
その愚痴をB太郎に話したのです。
「母が私を心配して言っているのはわかるけど、言われてもその時がきたらどうなるかわからない。覚悟していても悲しいものは悲しいと思う。わかってたから悲しくない、平気ってわけにはいかないよ」とA子は吐き出しますが、
「でもお母さんはあなたにそう言うことで、自分も覚悟をしているんじゃないのか」とB太郎は励まそうとします。
A子はそんなことを望んではいませんでした。ただ愚痴を聞いてほしかったのです母がどう思っているのか、それがわかったところで私の悲しみは消えないのだから、この悲しみに寄り添ってほしかった。
けれどB太郎は『こんな風に考えたら気持ちが楽になるんじゃないか』『こう思えたら心が軽くなるんじゃないか』とA子のことを思って言っているのです。
悲しみに打ちのめされて、先に進めずにいるA子をどうにか救ってやりたい。先に進めるように後押ししてやりたい。だって悲しんでばかりいられないでしょう、と。
そして次第にA子はその励ましに疲れてしまい、『そうなれない自分がいけないのか』と思い始めます。B太郎に至っては、自分の意見が通らず、受け入れようとしないA子に苛立ち始めます。そして今度はそのことを母C美に話しました。
「私が悲しんでいるとき、彼は楽になれるようにと励ましてくれるけど、私はその解決策を求めていないの」と。
母C美は「でも彼はあなたのことを思って言ってくれてるのよ、きっと」と答えます。
こういったパターンはいつも起こることで、A子はまたか、と更に悲しくなります。
B太郎とC美のようにヨロコビがメインの種族たちは、自分たちのやり方が一番優れていて、生きやすくて、何より楽しいのだから、みんなもそうすればいいのだ。と強く思っている節があります。
ところがA子のように悲しいことに耐え、泣き続けてからでないと気持ちを切り替えられない種族もいるのです。まずは今の悲しみを受け入れ、「悲しい」と言って思いきり泣き、できれば誰かに『悲しいね』と言って一緒に泣いてほしい。自分の悲しみを肯定してもらいたいのです。
実際に映画インサイドヘッドにこんなシーンがあります。
大切にしていたものを失くして落ち込み、悲しんでいる子をヨロコビは楽しませて悲しみから救い出してあげようとします。
しかしその子は泣き止みません。その子の助けが必要なヨロコビは「あーもうどうしたらいいの」と嘆きますが、カナシミはその子の隣に座って一緒に泣いてあげます。
「悲しいよね、大切にしてたんだもんね」と手を添えながら悲しみを受け止めてあげるのです。
ひとしきり泣いてからその子は「ありがとう、もう大丈夫」と言って先に進みだします。それを見ていたヨロコビは「どうやったの?」とカナシミに聞きます。
カナシミは「何も。ただ悲しんでいたから…」と言います。
それまでカナシミは自分の邪魔ばかりして、ライリーの幸せの為にならない『要らない感情』だと思ってたヨロコビは、始めて役に立ったカナシミの行動に理解できなかったのです。
A子の求めるものはカナシミにように寄り添ってくれることでした。
けれどヨロコビがメインの種族たちには、その発想がありません。
悲しいのならその悲しみを取り除こう、脱しようと努力してしまうのです。
それぞれ違う種族。違う人間なのだから、やり方や通り道が違って当然なのですが、B太郎やC美たちは自分たちの種族が強く、正しいと信じているのでそれとは違う方法を理解できません。
「どうしてこうしないの?この方が早く先に進めるじゃない!」と。
しかしA子のような種族たちは急いで先に進もうとは思っていません。
そもそも、先に進むことがそんなに大事なのかと思っています。
先に進めなくてもいいじゃない。これが私たちなんだからと認め合えればそれでいいじゃない。それが先に進むということになるかもしれない。と。
A子の周りにも同じ種族の人たちがいればいいのですが、残念なことにいません。
身近で影響力の大きい母と彼という存在が違う種族で、しかも他種族の考えややり方に理解できない人たちばかりだと、A子はとても孤独になってしまいます。
A子は、自分が求めたときだけでいいから、私のやり方に合わせてくれないかな、と願っています。
他種族がいることをまず認め、一緒に居るためにはその違いを認め合って、時には自分を抑えて合わせなくてはいけないと思っているのです。
その願いが届くといいのですけど。